
◆生い立ち:
● 1960年、大阪府茨木市大手町にブリキ屋(創業1910年)の長男として生まれる。
● 16歳で高校中退、世間一般の不良かも…… 原因は金儲け主義の学校がいやになった。
・ この頃バイクを覚える。
● 16歳の時、舞鶴市の建築板金業に丁稚奉公。
● 19歳、親元の株式会社 西島錺工所に入社。
・ 都会の時間と空間に抵抗を感じ出す。
◆アスベストを知る。
● 20歳、建築資材に発ガン性のアスベスト製品の多さに驚く。しかし、打つ手が見当たらない。
・ この頃から環境に関心を持つ。しかし、自分だけが辛抱をすればよいと自分自身に納得をさせていた。
● 28歳、長男が誕生。
● 29歳、仕事が終わって家に帰ってもすぐに長男を抱き上げれない。理由は1つ、自分がアスベストを扱っているので子供を抱き上げる前にまずは、風呂に入って体についているアスベストを洗い流さねば…この頃から真剣に打開策を考え始める。
◆JC(青年会議所)に入会。
● 30歳、社団法人茨木青年会議所に入会
● 1990年・誕生日に入会する。
● 1999年・理事長に就任。
(主な活動歴:
・韓国に子供たち50人と一緒にスポーツ交流韓国の公立中学でセレモニー。
韓国の市長も来賓出席・地元のテレビに放送される。
・ 茨木市の桜祭りの実行委員長時代イベント会場のゴミ箱撤去し、ゴミ削減に貢献。
・ 茨木フェスティバルにて、エコパック導入しゴミ削減を行う。
・ 同上の視察旅行で板門店に行く。隣国が戦時中と初めて認識。
・ 国境は、大人が地図上に作った勝手な線と改めて認識。
・ 地元茨木市の子供たちと「もったいない」セミナー)
● 32歳、青年会議所嫌いの父親と経営方針の違いで退社。
◆環境問題を考えると、仕事の受注ができない…。
● 1993年5月、一度は会社の経営を目指したので、その夢をかなえるために会社設立の準備に取り組む。
・ 何を提供する会社かを考える。
・ まずは自分にできることからはじめよう。
・ 建築板金でなにができるか?
・ 屋根壁で環境を考えながら…。
生活が豊かになった……。
感性も豊かになった……。
住むひとにとって本当に良い『家』とはなんでしょうか? すべての生き物にとって有害な物質がたくさん使われている『家』やすらぎの場である『家』が本当は一番危険な場所かもしれません。
住むひとはもちろんのこと、つくるひとにとっても本当に『やさしい家づくり』を目指す。
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■タップ工房株式会社 代表取締役
■発電マングループ設立メンバーであり、大型産業用アドバイザー/屋根のアドバイザーとして活動しています。

20歳のころ初めて創った板金の作品です。
 地元の茨木市が推進する環境教育ボランティアとして登録される。
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